ラックのお話






僕がいったん存在しさえしてしまえば、世界は僕なしにはあり得ないんだ。
僕は君らの弟に、兄として生まれてきたのだ。(いや、ストレンジとはどうかな…)
そんな矛盾だって「実在」してしまう。
痛いだとか、痒いだとかの「現実性」だって、僕と一緒にやってきたんだ。

言葉にならない叫び声、それがなんなのかわからなくても、それはそこに確かにある。
そう、それを感じるのは俺、物質。進化の働きってもんじゃないか。

もうそんなことはありえないのさ。言葉は豊かな想像力を生んだけれど、代わりにその一部を奪っていったんだ。

僕は言葉が存在しない時から存在していた。将来存在しうる、存在としてね。
(それは僕が今存在しているから言えること)
人間の祖は痛みを感じで「これはなんだ」と「これはいやだ」と「これがなにかわからない」と「感覚」する。
そう、そんなことあったか?ないか?
僕らにはあったことしか想定できない。ない世界なんて、そんなもの、実在とは言えない、現実性ともいえない。
実在が現実性を根拠にしていたとしても、その現実性は、実在の範疇でしか【存在】しえない。(認識・知覚できない。)

僕が存在しない世界も、僕が存在しない今となっては存在しうるし、君たちなしに僕は存在しうる
それは僕が言語だから。
君たちという概念を、議論という遊びを作っているのは僕だから。

一度僕が存在すれば、物なしの心、心なしの体、思考実験なんてし放題。
僕のルールの中でだけれど。
そう、言語が生まれる前の世界だって、言語があるからこそ存在しうるんだ。
僕ってなんて普遍的!



ああ父さん、エスト、存在、
どうか無口なままでいてくれよ。
あんたが、何にも言わないから、僕ら好き勝手できるんだ。
あんたがたった一言「私は」と言ってしまえば、僕らはみんな消えてなくなる。
いいや、でも、そうしたらきっと僕の勝ちだ。
あんたは僕になってしまうから。はは。面白いね。
それでも、そうして、あんたは僕から逃げうせる。
僕はあんたを捕まえられない。
あんたはそれでなくなるだけで、また別のどこかへ消え去る。






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なんとなく思いついたラック(言語)の独り言。
2016/06/07のメモより。