ハロウィン、三人の悪魔。
この村は外界から孤立している。周囲を高い山々に囲まれ、外界との交流はほぼないと言ってよい。今でも古くからの信仰や風習を信じている。頑ななまでに保守的なこの村の住人たちは、殆どが村の中で一生を過ごす。外界との唯一の接点はといえば、年に一、二回、山の向こうからやってくる商人の荷馬車くらいだ。この村で生まれた人間は皆、小さい内からこの村のしきたりや掟を親の世代から聞かされるもんだから、誰も彼もが、なんの疑いもなくそれに従っている。
下らない。俺はこの村で生まれ育ってきたが、そう思う。なぜなら俺は聞き伝えながら外の世界を知っているからだ。俺の父親は、都会からやってきた。
村で生まれたのは母だ。彼女は二十歳のとき、薬草を探している内に村の外に出てしまった。薬草は村に欠かせぬ医療道具となっており、彼女はそれを探すのに夢中になってしまったらしい(この村の医療技術は古代ギリシャ並に古いと、父は言っていた。)。そして道に迷って帰れなくなっているときに、偶然に父に発見されたのだった。見つかったときの母は酷く衰弱していたので、父は自宅のある町へ連れて行って手当をした。そのとき母は初めて外界を知った。あんなに素晴らしい世界はないと言っていた。形の整った赤いレンガで造られた何階建ての家とか、道にはきれいな石畳があったとか、馬車の代わりに自動車が走っているとか、食べ物が世界中から運ばれてきて、好きなものがいつでも手に入るとか。この村にはないものがたくさんあったと言っていた。その数週間後、母は父を連れて村に戻った。村では母は死んだと思われていたので、母の帰還は村を上げて喜ばれた。村人は母を助けた父にも親切で、父はそのままその村に残って母と結婚した。そして、俺が生まれた。だから俺は、色んなことを知っている。見たことはないけれど、外の世界を。
父は村に快く受け入れられたものの、父の知る町の知識が村に広まることはなかった。村には村の決まりがある。村人はそれを信じてうまくやっていたので、それが一番正しいものと思い込んでいたのだ。前に父が「郷に入っては郷に従え」と言う外界の諺があるのを教えてくれた。
その諺の意味する通りに、父は村のしきたりを守った(そのことは村人を喜ばせた)。だけど、しきたりを守るからといって、父の持つ外界の記憶が消えるわけではない。父は、食事のときや寝る前、主に家族でいるときとか俺と二人のときに、俺に父の育った町がいかに発展していて、どんなに素晴らしい文化を持つかを語ってくれた。その話の前では、村のいかなるものも色あせて見えた。俺はその話を聞くのが大好きだったから、ヒマさえあればいつでも町の話をせがんだ。母も父の話を聞くのが好きだったが、村人の前で町の話をすることはなかった。村人が怪訝な顔をするのがわかっていたからだ。
その母が、一週間前に病気にかかった。父の言うところではたいした病ではなく、適切な治療を受ければすぐにでも治る病気だった。父は町に母を連れていこうとしたが、村がそれを許さなかった。外界の知識なんてあてにならない、母のような症例の際には村に伝わる薬草を使ってきたから、今回だってそれですぐに治るんだ、と言って頑として父の言葉に耳を貸さなかった。そうこうしている内に母は死んだ。
父は、今回の件で村に失望し、昨日俺に「父さんと一緒に町に帰ろう。」と言った。俺はそのとき、吐き気がするほどの嬉しさがこみ上げてくるのを感じた。予期せず幸運を掴んだくらいに驚喜し、心が震えた。今まで想像して憧れるだけだった外の世界を見ることができるのだ。俺は父に抱き着くことで返事をした。
母という、この村と俺達を繋ぐ存在が無くなった今、俺達がこの村に居留まる理由はない。いや、父が、というべきか。村は、今度は俺が町へ行くことに反対したのだ。父は町から来たが、俺が村で生まれ育ったことにかわりはない。村は、父はともかく俺は村の掟に従うべきだと言った。しかし今回は父も譲らなかった。掟が適用されるのは、掟を信じるものだけだと言って、息子である俺を連れて行く権利を主張した。俺は父に賛成した。俺は掟を信じていない。今までは支障がなかったから形だけはそれに従ってきた(従うというのも違うと思うけれど)が、精神的には村の人間のような信仰は持っていなかった。俺が父側についたもんだから、村は今朝こう言った。
「明後日はハロウィンだ。知っての通り、ヘスターももう十五歳、これが最後の年だ。だから、どうだろう、ハロウィンを無事に終わらせてからならば、どこに行こうが構わない。だが、ヘスターが万一失敗したなら、彼を連れて行くことはできない。これは、あんたの町のためでもあるんだ。心がどうあれ、ヘスターはこの村の人間だから。」
続けて彼らは言った。
「ヘスターのことだって、ちゃんと考えているんだ。ヘスターが行きたいというなら、我々も彼の意思を尊重したい。だからこそ、互いの幸福のために、ハロウィンをしなければならないのだ。」
結局折れたのは父だった。この村を去ることは決めていたし、荷物をまとめるために一日二日の時間は必要だったからだ。父も俺も、村のばかげた風習にはうんざりしていたが、出発に影響はなさそうだったので、俺は明日のハロウィンに参加することになった。
この村のハロウィンは独特だ。毎年十月三十一日になると、三人の悪魔が子供をさらいにやってくる。欲望の悪魔と、盲目の悪魔と、それから狂気の悪魔だ。五歳から十五歳までの村の子供は、全員がモンスターの仮装して悪魔から身を隠さねばならない。家には子供がいると思って悪魔が探しに来るから、家の中にはいられない。だから子供は、外にいる間、自身の身代わりともなる、それぞれの悪魔が嫌う三種類の清められた魔よけのお菓子を、村を回って集めなければならない。欲望の悪魔はキャンディが嫌いで、盲目の悪魔はクッキー、狂気の悪魔はチョコレートが大嫌いなんだって。
大人は子供に、どの家が三種類のお菓子を配るのかしらせてはいけない。悪魔は子供の考えを読むことができるから、お菓子のある家の前で待伏せるのだ。それゆえ毎回子供は、それらを探して家々を徘徊しなければならなかった。
ハロウィンは夜の七時から十二時まで行われる。その間にお菓子が集められなければ、悪魔たちは、その子供を攫っていくのである。仮装の魔よけの効果が切れるのが、丁度五時間だからだという。他にも訳の分からないルールが訳の分からない伝説やら昔話やらで説明され決められているが、勿論、俺はそれらすべてがただの迷信だということをしっている。ただ、悪魔なんてものがいないにしても、村の掟は存在する。十二時までにお菓子を集められなかった子供は、外界に災厄を齎すとされて、災厄を広めぬために一生村から出してもらえない。悪魔に攫われた子供は、翌朝日の出と共に村に返されるが、その子供はもはや悪魔の仲間となってしまっているのだ。一度でも失敗すれば、村から出る手段は断たれる。だから俺は失敗することができない。しきたりを盲信する人間は恐ろしいものだ。しかし、このハロウィンという行事はさして難しい行事ではない。毎年さっさと終わらせたい俺は、ハロウィンが始まってすぐに近くの数件を回って、お菓子を手に入れる。八時までには終わる。簡単なことだ。
「あんた、この村を出るって?」
ハロウィン当日の朝。小鳥の囀る村外れの森で薪を拾っていたら、整備されずに生い茂った叢を割って、少女が現われた。やわくカールしたシルバーブロンドの長髪は、村の中でも目立っていた。
「ノラ。」
「ヘスター、本当に出て行くつもりなの?村で生まれた人間は、ずっと村にいなくちゃならないのよ。」
少女はノラといった。この村の村長の娘。すなわち、しきたりにどっぷり浸かっているってわけで。時々おかしなことを言うから、俺はその度についていけなくなる。ノラは俺の一つ下で十四歳、この村で年が近い子供は俺とノラの二人だけである。
「なんだよ、もしかしてお前も町が見たいのか?」
「興味ないわ。それに私は十年前に失敗しちゃったからずっと村にいるの。」
「あれ、そうだっけ。」
「あんたや他の子供は知らないでしょうけど、村の大人は皆知っているわ。」
「ほーう、じゃあなんかのお菓子を貰い損ねたんだ。」
「クッキーよ。盲目の悪魔にさらわれたみたいなの…だからあんな…」
「あー…」
なんだかわかる気がしてしまった。彼女が今、村のしきたりに執着してんのは案外悪魔のせいだったりして。いや、もともとこんなんだったけど。
「私のことはどうでもいいの。それよりヘスター、あんたは村にいるのが一番しあわせなのよ。村のしきたりが言っているのだから、絶対に。町になにがあるのかしらないけれど、ここにいても何の不自由もないじゃない。皆が嫌いなの?」
「そういうわけじゃないよ。ただ俺はこんな田舎には、もう居たくないんだ。母さんのことはしっているだろう?」
「おばさんのことは残念だったわ。きっと、悪霊がついてしまったのね」
彼女が俺とおんなじ言語を使用していることはわかる。だが、俺には彼女の言葉が理解できない。彼女や村の人たちは皆嫌いじゃない、むしろ皆いい人達だと思う。だが、しきたりの話をし始めると途端に別世界の人間のように感じられてしまう。
俺が何も言えないでいると、彼女は徐に首からぶら下げた古い懐中時計を手に取り、塗装の剥がれた金属製の蓋をパカッと開いてはカチッと閉じてを繰り返していた。それは彼女が十年前に彼女の祖父から貰った形見だと、昔聞いた。彼女はその懐中時計の蓋を開け閉めするのがすきで、しょっちゅうやっている。耳障りでしょうがない。俺が彼女の奇行を眺めていると、彼女は「おじいちゃんから貰ったの、死んじゃう前に。あれ?死んじゃったあとだったかしら。とにかくこれはとっても大事なもので、貰ったときからずっと、弄らずにそのままにしてあるのよ」と言った。前にも聞いたと言ってやると、「覚えていないわ」と返された。彼女は時々熱心に時計を見つめている。何をそんなに気にしているのか、少し興味があったが、彼女は時計の文字盤を誰にも見せなかった。村の時計はどれも古いもので、置き時計にしても掛け時計にしても、みんなカッチコッチとうるさいものだが、彼女の時計から音が聞こえることはない。静かなもんだ。一時期、俺も懐中時計が欲しいと思う時期もあったなあ。
「ねえ、じゃあ、これは言ったかしら?」
パチンと懐中時計の蓋を閉じ、こちらに目を向けて彼女は言った。
「なに」
「ハロウィンの言い伝えの話よ」
「しっているさ、村の子供は化け物の格好をして近所の大人から三種類のお菓子を貰うんだろ。毎年やっているじゃないか」
「じゃあお菓子がそれぞれどんな意味を持っているかも知っているわね」
「キャンディが欲望の悪魔から身を守るための魔よけ、クッキーが盲目で、チョコが狂気だっけ?」
「そうよ、三人ともそのお菓子が嫌いだから、持っている子供は襲えないのね」
彼女の話は全て知っていた。母からも散々聞かされていたし、村の人間なんてしょっちゅう似たような昔話をしている。いい加減飽きたらどうなんだ、とつくづく思う。
「ああ、うん。しってる、しってるからさ…俺、父さんにこの薪を届けなくちゃならないから。またあとでな。」
別に父さんから薪拾いを頼まれていたわけではないが、これ以上"別世界"の話をされても困る。俺はまだ話を続けるノラを残してその場を立ち去った。少しの間、後ろからノラの声が聞こえていたが、茂みを歩いていたので、彼女から遠ざかるにつれそれも聞こえなくなった。
「悪魔はね、子供を攫うって、言ったでしょう。あんたはそれを勘違いしているのよ…だから皆心配しているの…悪魔は本当に私を攫っていったわ…悪魔が攫うのは子供の肉体じゃなくて…」
「いて…」
開けた目に映ったのは真っ暗な空に輝く満月だった。その周りには筒状に石が敷き詰められていて、石の隙間の所々からは草が顔を出し、自然の強さを顕示していた。顔にかかっていた砂埃が煙たくて少しむせた。体中が痛くて少しの間動く気になれなかった。しかし、俺はこんなところで時間を潰していてはならないのを思い出した。石の壁を支えに体を起こす。俺は村の真ん中にある林の中の古井戸に落ちたのだ。打ち付けた頭部を摩ってみると、案の定こぶができていた。痛い。
「畜生、どうしよう、今何時だ?」
錯覚だ、これは、精神は肉体の痛みとは関係ない。そう自分に言い聞かせながら、俺は一先ず古井戸を脱出した。梟が鳴く林の先には子供たちが持っているのであろう明かりがちらちらと揺れていた。
「あー、くそ…チョコ…、チョコを貰わなくちゃ」
ハロウィンは例年通り、日が完全に落ちた夜の七時から始まった。村の家には南瓜をくり抜いて作られた灯が飾られ、いつも以上に村を不気味なものに見せた。村の子供たちは皆仮装をして、何処の家のお菓子は何だとか、うまいとかまずいとか、話しているのが聞こえた。俺は父さんから聞いた不死身の殺人鬼に扮装することにした。本当はチェーンソーってやつを持っているらしいけど、村にはそんなものないから、手製の木のお面を白く塗って穴を開けたものを装着しておいた。仮面は悪魔から身を隠すものなんだって、前に母さんが言っていたなあ。
キャンディとクッキーはわりとすぐに手に入ったんだ。ハロウィンが失敗するなんてことは、めったにないことだ。大人は子供を守りたいがために、町から来た商人から買い受けたお菓子をこの日のために取っておき、祈りを捧げ清めてから子供達に配る。子供は行事そのものが珍しくて楽しいから、積極的にお菓子を求めて家を回る。今年は手に入ったお菓子が少なかったらしいが、ハロウィンに支障はないとノラは言っていた。
カラフルな包装紙に包まれた棒付きキャンディをくれたおばさんは、「今年は一人に一つずつ位しか魔よけのお菓子がないみたいなの、ごめんね。」と言って、お菓子入れとして持ってきた小さなバケツにキャンディを入れてくれた。他の子供達は少ない少ないと不服を口にしていたが、俺は別に構わなかった。甘いお菓子は嫌いなのだ。それに貰ったお菓子は食べなくちゃならないわけではなくて(食べたほうがいいみたいだけど)、十二時までに身につけておいて、明け方日が昇るまでしっかり手放さないでおけばいいだけの話だ。毎年十一月一日の朝には、貰ったお菓子は全部ノラにやっていた。
さて、キャンディを貰ったのが七時十五分頃、続いてクッキーは七時半には貰えていた。その間はしきたりと関係のない、切り分けられたパウンドケーキとか、いつもよりもずっと甘く作られたパンとか、シュトゥルーデルとか、そんなものを貰っていた。
ああ、そうだ、だから井戸に落ちたのは八時頃、回る家もあと数軒だったし、少し休憩のつもりで古井戸の縁に腰掛けたときだ。一息ついて村の明かりをぼんやり眺めていたら、後ろから急に誰かに引っ張られて、井戸の底へ転落した。古井戸は村の真ん中にある小さな雑木林の中にあり、普段人が近づくこともない、静かで涼しくて心地のよい場所だ。以前は、…といっても三十年以上前だが、皆ここから水を得ていた。しかし随分前に枯れたらしく、今使っている井戸と違い水は入っていないし、井戸そのものに深さもない。俺は百七十もないけれど、少し背伸びをすれば縁に手がたう。
俺を引っ張って井戸に落としたのが誰かはしらないが、俺の平静さを奪うには十分だった。家々が並ぶ通りに出ると、既に三種類のお菓子を手に入れた子供たちが大人から飲み物を振る舞われながら雑談していた。この光景は毎年見ている。十二時前にミッションを終えた子供のために、大人が十一時半から始める子供用立食パーティーみたいなものだ。
すなわち、まずい。あと四軒、急がなくちゃならない。俺は痛みも忘れて走った。一軒、二軒…。だが最後の四軒を回ったにも関わらず、チョコレートはどこにもなかった。子供は全員貰える仕組みになっているはずなのに。
「どういうことだよ」
家を回ったときに、まだ十二時にはなっていないことはわかったが、それでもあと十数分しか猶予がない中で未だにチョコレートを手に入れられていないことに焦りが増す。こういうときに冷静でいられるほど、俺は大人ではない。どくどくどく。血液が凄い速さで体中を移動する音が聞こえる。うるさいうるさいうるさい。
なんで、今日に限ってこうなるんだ?俺が町に行けるかが懸かっているっていう、今日に限って。誰が俺を井戸に放り込んだんだ?いや、いや、それよりも、なんでチョコレートがないんだ。何処か行き忘れている所があったっけ?どうしたらいい?
「ヘスター」
息を切らせ、だけど行き先もわからずに再び村の真ん中の井戸の前で立ち尽くしていたら、いつのまにか隣にノラがいた。びっくりして勢いよく振り向いたら、ノラもびっくりして目を見開いた。
「ノラ…」
「どうかしたの?お菓子はもう集まった?」
「それが、ないんだ。全部回ったのにチョコだけ。」
自分で言って、その言葉が語る事実に自分で絶望した。ああ、本当に…どうしてこんなことに。
「そういやお前は?全部貰った?」
「うん。九時過ぎ位には終わった。ダリアの家には行った?私はあそこでチョコレートを貰ったわ。」
「行ったよ…、でもくれたのはチョコじゃなくてクッキーだった。」
「クッキーはゲイリーの家で貰ったわ。」
「そこでは菓子パンだった…なあノラ、今何時だ?」
「さあ、しらないわ。」
「時計持ってるじゃないか、じいさんの。見せてくれよ。」
「駄目。これは私にとってとても大事なものよ。誰にも見せない。」
俺の苛立ちは焦りのせいもあって秒単位で増幅している。人事だと思っているのかしらないが、いつもは気にしていないでいられるはずの呑気な態度のノラに、理不尽に腹が立った。憎ったらしくて、それを抑えつけていたら吐き気がした。
「ヘスター、ヘスター。落ち着いてよ。いいじゃない、別に。外には行かれないけど、お菓子を集められなくたって、別に悪魔の化身といわれて忌まれるわけでも殺されるわけでもない。これはただの形式、あんただって前にそう言っていたでしょう?村の人間は一生を村で過ごす。本当はむしろ、そうあるべきなのよ。町なんて信用ならないわ、あんたのおじさんだって、いい人だけど、町の知識があんたにあるお陰であんたは今大変なことになっているのよ。ヘスター、やっぱりあんたはここにいるのが一番いいのよ、町なんて…」
「ノラ、黙ってくれ。俺は町に行きたいんだ、どうしても。一生ここで閉じこもってなんかいたくないんだ」
再び走り出そうとすると、ノラに腕を掴まれた。彼女の冷たい手に違和感を覚えながらノラを見ると、魔女に紛しているのか黒装束に身を包んだ彼女の手には南瓜の形をした手提げがぶら下がっていた。その瞬間、俺の思考は素早く回転し出した。ハロウィンには面倒で無意味なルールが山ほどあるが、十二時までにお菓子を集めた証拠なんてものは、必要とされていない。なくたって村の人間にはわかるそうだ。変だよな。このルールこそあってしかるべきだと、父さんは言っていたが、今の俺にはなくてよかったと思われた。
今が果たして何時なのか、俺はしらない。しかし、俺が十二時までにお菓子を集めたか集めてないかなんて、十二時になったときに俺と一緒にいなかった彼らにどうして分かるのだろう。今まで考えたこともなかったけれど、これはここ一番の名案のように思えた。
きっと、どうかしていたんだよ、俺は。どっからか、これしかないって、声が聞こえたんだ。手提げからのぞくお菓子を見つけた俺は。俺は。俺は。
まるで他人の所業を見ているようだった。彼女の細い首は、俺の手によってもっと細くなった。何故だか泣きそうになりながら、ぎゅうぎゅうと締め付けていたら、パキッという音がした。泣いていたのは俺じゃなかった。俺の腕を剥がそうとしていた手は、だらし無く地に落ちた。彼女に顔を近づけるとどうしてか甘いにおいがした。なんでかな。この匂いどこかで…。彼女の虚ろな目には表情のない自分の顔が映って見えた。途切れ途切れで繋がらない感じがした。全部が全部一部始終、俺には冷めて映っていた。父さんが前に無声映画の話をしていた。見たことはないけど、きっとそんな感じだ。モノクロの音のない世界で、人間がせわしなく蠢く。何をやっているのか、よくわからない。自分のいない、入り込む余地のない、異様な世界。自分とは無関係の光景を、無心に眺める。
もう動かない彼女の横には、集めたお菓子が散らばっていた。その中からチョコレートを見つけて口に入れた。これでチョコレートは俺のものだ。それからクッキーとキャンディも食べてしまった。好きではないが、これで誰にも奪われない。彼女のように。
彼女の首にかかっていた懐中時計を開けた。時計は十一時五十九分をさしていた。ガラスに皹が入っていて、時計は止まっていた。彼女からお菓子を奪うときにでもぶつけたのかもしれない。
それにしても気分がよかった。俺はこれで町に行けるのだ。夢にまで見た新しい土地。なにが悪魔だ、馬鹿馬鹿しい。もうこの村に縛り付けられずに済むのだ。
翌朝彼女が発見されると、村長の家の前で、父さんは俺を町に連れていくことは出来ないと言った。村の大人はなんでかめそめそ泣いている。子供はハロウィンのせいで疲れて家で寝かされているらしく、ここには大人しかいない。村長は俺を村から出すわけにはいかないと言った。何故だ?十二時までにお菓子を集めたんだから出ていったって文句は言われないはずだ。父さんだって連れていってくれるって言ったのに。十二時には間に合ったって、何度も言ったのに聞いてくれない。村長は間に合わなかったんだと言った。一番悪い悪魔に攫われたんだって。だけど、実際俺は攫われてなんかいない。一晩中ノラの隣に座っていただけだ。今では父さんも村の人間と同じように掟に従うつもりでいる。味方だと思っていた父さんまで向こう側に行ってしまって、俺はただその光景を人事のように眺めるしかなかった。
そんな風に思う俺の目の前はまだ無声映画のまま。向こうの音が聞こえない。だからかな。全部がすごくどうでもよい。なんでかすごくたのしい。だって俺には関係ないのだ。しってしまったのだ、こんな村、出たくなったときにいつだって出られるんだってこと。
そいつを俺はついさっき、ノラに教えてもらったんだ。
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学校の課題で書いた8000字くらいの中編小説。
むしろ漫画で描きたい。
20110110 若干修正
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