共有と認識








おわり
なんか、久しぶりに漫画を描いたような気がしますが、なんでしょうね、漫画難しいですね。
この話のもとのメモは2年も前のものでした。驚きです。虚しさを覚えます。
死の瞬間、命の失せる瞬間に何かを見出したい兄貴。
自分のでも、誰かのでもなく、人間存在一般の死。
兄貴は彼らの外面的な変化から感じ取ろうとするけど、
平和は、それはあくまで他人の死でしかなく、兄貴が欲しい本当の死によるその感覚は
自分が他人の死を自分のものとして引き受けた時に初めて得られるものなんじゃないのか、っていう。
他人の死とともに自分の死を認識して、自分がいま確実にそこに存在しているという認識、きっと兄貴はそれが欲しい。
それが本当に安心なのか、より大きな不安なのか、おそらく後者でしかないだろうけど、兄貴はそれをかかえたい。
銃とかミサイルとか使うことに関して、実際のところを知らないけど、
当事者にあるのは、当事者の意思をもって動かされた、ちょっとした、些細な変化。
その時点で、他者の死と、自分の存在とは直接のつながりを持たない、離れた存在。
いくら間近で見てみたところで、そこにあるのは、他人のものでしかない。
彼らの一部に直接触れることは、意味のある儀式ではないかと思う。
兄貴はそうして触れてみるけど、残念ながら平和が空気を読まない。
それを感覚するためには、世界からある程度離れている必要があると思うので。