| ハロウィンの魔女 ドン、と肩がぶつかって、俺はようやく人とぶつかったのだと気づいた。よろけて二、三歩後ろに下がる。
「悪い」
「いいえ、楽しいハロウィンを」
俺の住む小さな街は普段は閑散としている寂れた田舎町だ。だが、今夜はどこもかしこも仮装した子供や大人たちで溢れていた。庭はこの日のためにおどろおどろしく飾り付けられ、チカチカと光る色とりどりの電球が、普段は薄暗い道路を明るく照らしていた。
彼女も仮装している大人の一人のようだった。俺よりは低いが、彼女も随分と背が高かった。黒いトンガリ帽子に、同じく黒いケープを着込んで、さらに全身は真っ黒なゆったりとしたドレス。どうやら魔女の仮装のようだ。
俺は仲間達とパーティへ向かう途中だった。この先の仲間の家だ。酒も入っていて、夜の闇のようなこの女性に気づかなかった。
この街には生まれたときから住んでいたが、初めて見る顔だった。女性は軽く会釈をして、するすると人混みを抜けていった。なにかがおかしいと。何にかは酒の回った頭ではわからないが、頭の隅で思っていた。肩が痛いな。ぼんやりとその後ろ姿を追っていた俺を、仲間はこづいて笑った。
「あのねーちゃんが気になるのか?」
「いや…」
「俺は気になる!ちょっと声かけてくる。ハリオには、遅れるって伝えといてくれ。」
「ハハ。たらし」
ハリオは、これから向かう予定の家の主。俺たちの仲間だ。お調子者のこいつは、マルク。大方先ほどの女性をパーティに誘うつもりだろう。いつも数人の女性を侍らせて楽しそうにしている。
頭をかきながら、俺は再び歩き出した。小さな違和感を、その場に残して。マルクも賑やかな家族の群れに紛れて、すぐに見えなくなってしまった。
向き直って、歩き出すと、また女性にぶつかってしまった。倒れかける女性は、一緒にいた他の女性に支えられて、何とかこけずには済んだようだった。
「痛〜い」
「あー、すまない」
「前見て歩きなよ」
ぶつかった女性をかばうように、ほかの女性たちからも口々に文句を言われる。よそ見をしていた俺が悪い。酒の飲みすぎだと思った。さんざんだな。だんだんと頭が冴えていく。
「はは、今日は飲みすぎたな」
「図体でかいのに気は小さいんだよな、お前は。さっきの嬢ちゃん、弾き飛ばされてたぞ。」
「うるさいな。ああ、はしゃぎすぎた。早くハリオの家に行こう。」
一緒にいた他の仲間にからかわれながら、俺はハリオの家に着き、賑やかな(騒々しいともいう)パーティーを楽しんだ。
「マルクが行方不明らしい」
翌日のことだった。お祭り騒ぎは終わりを迎え、片付けに精を出すそれぞれの家庭を眺めながら、俺は大学に向かっていた。後ろから声をかけてきたのはハリオだった。
「昨日から戻っていない。何か知らないか。」
「魔女を追っかけていっただろう。酒も入っていたし、草むらで寝てるんじゃないのか」
結局。マルクはどこにもいなかった。
一週間、二週間。一年経っても。最初はニュースで取り沙汰され、張り紙も至る所で見かけた。俺も勿論警察に魔女の話をしたが、あの日は誰もが仮装をしていた。なんの参考にもならなかった。
一つ分かったことは。この小さな街に、俺より少し低いだけの…つまりは背の高い女性は住んでいないということだった。それも、俺が酒を飲んでいたことを理由に、たいして重要とは思われなかった。
大学を卒業間近に控え、俺は一人バイクに跨り山道を走っていた。
朝起きたとき、気持ちのいい日だと思った。空は青々と澄んでいて、小鳥のさえずりが心地よかった。こんな日は旅行に行くに限る。そんなふとした思いつきだった。もうすぐ、湖が見えてくる頃だろうか。
少し疲れたな。
そう思い始めていた時、ちょうどよく目の前に木造の建物が見えた。
あれは、カフェか。長いことバイクを走らせていたのもあって、自然と、駐車場まで入っていた。
今はちょうど正午…ああ、しかもここは圏外か。随分と奥地まで来てしまったようだ。携帯を鞄にしまい、軽食でもあればと思って扉を開ける。途端に温かい珈琲の香りが鼻をくすぐる。
「カフェ・ロカンタンへようこそ。」
そう言う店主の声を、俺は忘れたことがない。それはマルクの声だった。
「マルク!」
「ん?ああ、クレイグ。久しぶり」
「久しぶりって。みんなお前を探していたんだぞ」
「そうだったのか。」
「お前、どうして……」
「まあ、座れよ」
へらへらと笑う、あの頃のマルクのままだった。
「何を飲む?長旅で疲れただろう。こんな辺鄙なところだ。俺のオリジナルでもいいか?」
「あ、ああ……
そんなことより、お前、あの後どうなったんだ」
「あの後って?」
マルクは、慣れた手つきで珈琲豆をミルで砕いている。
「ハロウィンの日。俺が魔女とぶつかった後、お前は彼女を追いかけて行ってそのまま戻らなかった。みんながお前を心配して探し回った。今でも探している。なぜ戻らない、なぜ連絡も寄越さなかったんだ。」
「ああ、お前がぶつかったんだっけ。」
ハンドドリップされた珈琲が、目の前に提供される。俺がブラックを好きなのを覚えていたのか、そこに砂糖やミルクはない。
「話せば長いが、俺は今はここで働いている。もう戻ることはできないんだ。わかってくれ、クレイグ。俺、この一年で珈琲の腕も上達したんだ。昔のことより、まずは飲んでみてくれよ。」
「飲んだら、聞くからな。」
口に含んだ珈琲はまろやかな風味で、珈琲に疎い俺でも、素直においしい、と思えた。ガサツだったはずのマルクが、1年でこうも繊細な飲み物を作れるのか。
「うまいな」
「ありがとう。去年のことだが…俺は死んだんだ。」
「は?」
「そろそろ、別の人間になりたいと思っていたところだった、しかもクレイグ。お前は気のいいやつだ。きっとこの珈琲屋でもやっていけるだろう。」
「何を言って……」
急に視界がゆがむ。世界が回る。何が起こったのかわからない。
「お前のことがずっと気がかりだった。俺を覚えている人間が一人でもいるとやっかいだからね。こうして偶然にも来てくれてよかった。歓迎するよ。」
珈琲に何かが入っていたのだろう。がたんと俺は前のめりになってテーブルに伏した。勢いよくぶつかって額が痛かったが、痛みと思考が別のところにあるような感覚で、どうでもよかった。俺はマルクにずるずると引きずられる。辺りはすっかり薄暗い。いや、地下の倉庫のようなところに連れてこられたのだと、思考の片隅で思う。何もかもが現実ではないみたいで、フワフワとした思考で、俺は夢でも見ているような気分だった。
「お前…… 誰だ……」
俺が出した結論だった。こいつは、マルクではない。マルクは……
飛び飛びの思考がつながりだす。俺を引きずる「マルク」が笑ったようだった。
そうだ。
違和感の正体。俺にぶつかって、俺をよろけさせる程の女は。
あの女は、この男だったのだ。
マルクの"皮"をかぶった、この、得体のしれない、
「俺はマルクさ、でも、これからはクレイグになる。いろいろ聞かせてくれよ。あんたのことが知りたいんだ。」
扉が閉まると同時に、光が消える。
俺は意識を手放し、それからのことはもうわからない。
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珈琲屋のカフェの名前はロカンタン。 サルトルの「嘔吐」に出てくる主人公の名前です。 20221030 |