不要な認識















人間に生まれたことが、この上なく虚しい。
いつか死ぬ。そう思うと。
死ぬその日を思うと。
今とはいったい何のためにあるのか。
ただただ憂いを重ねて、増していく、生き汚さ。
ほんの少し娯楽に溺れてみたって、その底には見知った虚無がある。
すっかりやる気が失せる。
そして俺は関節の抜けた人形みたいにベッドに転がるしかない。

「アーサー。あ、今日はベッドのふちなんだ」

「あー」

きっと。せわしなく誰かと話していれば。
他人と交流していれば。
こんなことに思い当たらずに済むのだろう。
思い当たるのを遅らせることができるだろう。

「お前もいつかは死ぬんだ」

「はあ?」

「俺もいつかは死ぬ」

「ああ、うん。そうだね。」

要領を得ない顔をしている。そりゃそうだ。こんな風に、"すべてをぶち壊した後"でも今まで通りに俺に接するこの弟も、いずれは消えてなくなるのだと思うと。人間なのだからと思うけれど、どうしてこの世はこんなに理不尽なんだと、どうしようもない怒りが湧いてくる。

ある意味で。
俺は今が一番マシだと思うこともある。何も変わらないが、何にも侵害されない。このままだったらどんなに気楽か。俺は弟の気まぐれに生かされている。ヒビとの利害関係に生かされている。砂時計の中の砂の上に座っているみたいだ。永遠には続かない。この瞬間だけは、生きていると思う。活力からではない。ただ、人間をしていると。人間の皮をかぶって、人間らしさを演じている。
食べて寝て、考えて。
考えて。考えて。考えて。
いつまでも思考が止まず、布の上に転がっていただけなのにひどく疲れている。頭痛までする。
殺し合いでもしたら、生きなければと思うだろうか。撃たれでもしたら、生きたいと、手近な他人に縋りつくだろうか。助けてくれと。生かしてくれと。意気地のない俺のことだから、きっと必死で懇願するに違いない。今こうして、何の意味もない生だと諦めているっていうのに。それでもこうしてぼんやりと何もせず憂いているのも、俺にとってはしあわせなのかもしれないと錯覚する。矛盾だらけだ。肉体なんてものがなければ、フッと一息で消えてしまえただろうか。
眠るように消えることもできない。終わりまでのカウントを、ふとした瞬間に感じながら生きて。ほしいと思って手に入れた雑誌だとか、小さな人形だとか。こぎれいな時計だったり、こだわりの革細工だったり。何もかも、どこへも持ってはいけないのだと思うと、いつかは俺の隣で一緒に燃えるか、地面に埋もれて腐っていくくらいにしかならないのだと思うと。
人間というのは随分と狂った生き物のように思えてならない。
今必死で考えているこの脳みそも。ぼんやりと天井を眺めるばかりの目玉も。全くこの世に必要がない。なんなら今すぐ無くなったって誰も困らないのだ。

何もいらない。ただ、食いつないで、人並みに清潔な場所に寝床を構えて。
でも何もかもがほしい。穏やかな日々が。太陽の光が、涼しい風が。生活を明るくする何かしらが。
拮抗する思考が面倒で、何も考えないでいると、ただただ諦めて無力でいるだけの俺が、茶滓のように残る。

弟はいったい何のために、毎週死体をこさえて帰ってくるのか。俺には理解ができない。衝動なのか。欲求なのか。
俺はただ。見たいだけだ。スッと。抜けていくのを。瞬間前まで生きていた。人間をしていた抜け殻を。それがただの殻に過ぎないのを。
苦しむのはすきじゃない。一瞬がいい。その瞬間を小刻みに切断していけば、きっとどこかに境目があるんじゃないかと。
見知らぬ人間がいい。一度も話したことがないのがいい。そいつがどういうやつかも、わからないのがいい。でも、最後にはどうでもよくなる。終点の無を思うと、そんな罪悪感や欠片の良心や、姑息な逃避なんか、粉々に砕けて散っていく。どうせ死ぬんだ。後悔したって、満足したって。同じなんだ。
その先になんて何もないのだから。
魂だけが入った、肉の袋でもあればいいのに。そうすれば俺は、無害な人間になれるだろう。
俺も弟も、消えてなくなるべき害悪だ。なのに、弟はいつでも明るくけらけらとしている。理解していないのか、気にしていないのか。気にしていないんだろうな。こいつほど無神経になれたら、どれだけよかったか。以前コイツには考えすぎだと言われたことがあったなあ。

「今日はどんな奴だった?」

「ええ?ああ、港町でハビエルをいじめていた悪者A・B・C…それと…」

「お前はさ、それを善行とでも思っているのか?」

「はあ?今日はよく変なことを聞くよね。アーサー。」

弟はにっこりと笑う。人好きのする笑顔だと、昔誰かが言っていたが。俺にはその裏に何の感情もないことを知っている。コイツの笑顔はただの反射だ。

「だって、意味ないだろ。お前が危険を冒してまで。何の意味がある。助けることに何の意味が。」

「助ける?」

「偽善だろうそれは」

「偽善」

何も思っていない。こいつには慈悲がない。そう思う。俺がコイツと同じ屋根の下で暮らしていけるのは、ただコイツにとって俺が家族だからだ。そして互いに侵害しない。見えない線が交差していない。それだけだ。
いい人間は嫌いじゃない。穏やかになれる。悪い人間……放っておいてほしい奴をいじり倒して優越に浸る奴は嫌いだ。俺以上に無意味で馬鹿げているように見えるから。見るに堪えない。ただ。助けてあげなければという感情が、俺には湧かない。俺に関係がなければ、俺はただ、俺の家を目指して歩くだけだ。嫌なものを見た。あんな奴は消えてしまえばいいと思う。それだけだ。
でも弟は違う。わざわざ、ハビエルの前に歩み出て、クズを成敗するのだ。頭の中ではハビエルへの感情なんて一切持ち合わせていないくせに。それが偽善でなければなんだというのか。意味なんてないのに。無駄な労力だ。俺には理解できない。

「ハビエルはなんだって?」

「なにが?」

「礼を言ったか?お前はいい気分で帰ってきたってやつか?」

「うーん。アーサー。お前が何を考えてるのかわからないけど。とりあえずまあ。僕はいい気分かな。」

「ていうか。お前。何か用なのか?俺は寝るのに忙しいんだけど」

「手伝ってよ。ヒビの穴に落とすの」

「嘘だろ」

「今日は数が多いから。暇だろどうせ」

「クソ」

意味はない。意味はないのに。言葉が通じるから、俺はこうして弟に応じるのだろうか。何もわからなければ、わかる頭もなければ。人間でなければ。生き物でなければ。
ふと気づく。すべてが乖離している。今まで流れるように頭をよぎったほとんどが。俺の中には残っていない。ああ。もう。やっぱり全部無意味だった。

ガサガサと、黒くて分厚いビニール袋を両手に持って森を歩く。
血なまぐさい鉄の匂いがする。一日中投げ出されていた体にはこたえる距離を歩幅の広い弟を追うように歩く。もっとゆっくりでもいいだろ。

「重い疲れた臭い」

「筋力と体力と忍耐力が足りないなあ アーサー。」

「ボロクソ!」

そうこうしているうちにぽっかりと空いた穴が見える。ここまで来られるのは、俺たちくらいだろう。あと、2往復くらいしないと。クソ。無視して寝ていればよかった。

「あれ?」

バサバサと。びちゃびちゃと。ビニール袋を逆さにすると、まとまった頭が穴の中に落ちていく。
頭が4つ。

「4人なのか?」

「言ってなかったっけ?…あ、そっか、アーサーにさえぎられたから。」

「お前。」

「4人目はハビエルさ。」

アハハと笑った弟は随分と無邪気で。いたずらが成功したのを喜ぶ子供のようで。
俺は全部どうでもよくなってしまった。

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2022/08/29
頭を空にしてつらつらと書いた文字。
平和は平等。