| 仕事人間 眠れない。ここ数日の不安や、心配事が頭を支配して、ベッドに横たわっても、それをどうしようか、こうしようかと考えていると、ぐずぐずと眠りは遠ざかるばかりだ。休まなければ明日に響く。楽しいと思っていたことも頭の隅に追いやられて霞んでいる。気を紛らわさなければと思うのに、結局また明日にはその心配事に直面するのだ。
昔に記憶している憂鬱に似ている。前にも似たようなことがあった。昼間は怒涛のように過ぎるのに、夜はぐちゃぐちゃの毒沼だ。あるとき涙が止まらなくなり、言葉にならない感情が爆発して、枕には流れた涙がぼたぼたと落ちる。このままではおかしくなってしまう。行動に出るしかない。それだけが俺に残された逃げ道だった。俺は翌日機械になるのだ。ポンコツでうまく機能しない。でもやらねばならない。何もない風にしながら、涼しい顔をしていなくちゃならないのだ。
ああ。全て投げ出して逃げてしまいたい。だが俺の背には重石が乗っている。誰にも見えないだろう。やらなければ、やらないことについていずれは指を指されるのだ。
俺は決して仕事に誇りを持っているわけではないし、仕事をすきでもない。ただ成り行きで仕方なくしているだけだ。だが目の前にあるのは俺の仕事だ。だからやる。それだけだろう。
だというのに、同僚ときたらペチャクチャとおしゃべりをして目の前の仕事を見ようともしない。そうして時間になると帰っていくのだ。俺はお前の遅れを取り戻す妖精じゃない。
俺は同僚に話しかけられる方じゃない。俺は黙々と仕事をこなすだけだから。つまらない奴とでも思っているのだろう。歳も離れている。馬鹿にされて、俺はいいように使われているのだろうか。影では他の同僚たちと俺の悪い噂でも囁き笑い合っているのだろうか。現実が歪んでいく。俺は頭の中で同僚を歪めているのだ。そう思おうとしても苛立ちばかりが募る。不安になる。仕事をしなければならないのだ。仕事はなくならない。奴らがやらないなら、俺がやるしかない。小さな塵が積もっていく。
何が現実か分からない。敵だと思わなければ現状何をすべきか考えられない。攻撃。攻撃。攻撃だ。俺の心を守らなければ。
「俺はどうしたらよかったんでしょう。このままでは爆発してしまいそうだった。俺はただ、その日与えられた仕事を、その日のうちに終わらせたいだけだったんです。この仕事は人と関わりますから、早くしないと評判も悪くなる。俺はまとめ役ですから、一応。俺だけが出来ていてもダメなんです。なのに奴らときたらペチャクチャペチャクチャペチャクチャペチャクチャ。お喋りばかりして一つも手を動かさない。いや、しているのかもしれない。ゆっくり、ゆっくりと……。数時間に数個の対応をしたくらいだ。代わりに俺ばかりが対応している。何のためにいるのだ?こんなことなら奴らなどいない方がいい。そう思ったんです。俺の足を引っ張ってばかりだ。役立たずで、無能だ。そんな奴らがたのしくて平和で暇な一日を終えるために俺の仕事があるわけじゃあない。俺のストレスは限界だったんです。攻撃は防御だ。あいつらが動かないなら動かさなくちゃ。それでも動かないなら、そんなものは空間の邪魔だ。意識の邪魔だ。そうでしょう。」
「それでお前は」
しんと静まり返ったフロア。散乱した机、椅子、書類。目の前の真っ黒いスーツを着た男は、興味があるのかないのか分からない、同じように真っ黒い目で、左手に持った紙コップの中のコーヒーを見つめながら言った。
「異分子は俺なのかもしれない。そう思うこともありました。俺は真面目にやってるつもりで、輪を乱していただけなのかもしれない。俺さえいなければ、彼らは変わらずのんびりと過ごしていただろう。いや、もしかしたら、正しく仕事をしたのかもしれない。でも俺はいる。俺が侵害されている。俺は言った。雑談は仕事が終わってからにしろと。それだけだ。俺は口下手だから、気を使った言葉を見つけられなかった。それは悪いと思っています。だって、本当に迷惑しているのに、なぜ気を使う必要があるんです。俺がどれだけ迷惑しているのか、どれほどが伝わっただろうか。彼らはその場では平謝りしていたが、どうせ俺のことをクソ真面目で場をしらけさせる奴だと笑うに違いない。敵だ。敵だ。味方になどなり得ない。そんな奴らが近くにいて。安心して仕事ができると思いますか。」
「うるさい奴は俺もすきじゃないな」
「そうでしょう。だから。静かにした。それだけです。俺は悪くない。だってアイツら敵だったんです。俺を蝕む。俺は俺を守っただけなんです。自分を守れないで、ねえ、他の何を守れるというんです。仕方がないんだ。ナメた奴を見てると腹が立って仕方がない。立場をわかってない。分からせてやった。いや、わかってないかもしれない。だってアイツら俺の言葉も理解しないのだから。」
「俺にはどちらが人間かよく分からないが、まあ、俺も仕事を淡々とこなしている方が楽だな。」
「なんだ。貴方はそうなんですね。あんなところさっさと捨てて全てを奴らに放り投げて、こっちに来ればよかったのか。それだけだったのか。俺はやっぱり馬鹿なことをしてしま」
続く言葉は銃声に遮られた。フロアに振動が広がる。俺の肩口からは血が噴き出している。撃たれたのだとわかった。味方のように頷いていたこの男に。
「馬鹿なことなんかじゃあないさ。お前は俺に仕事をくれた。俺はお前に感謝している。」
男は淡々と話す。俺はそれどころじゃない。全ての感情が吹っ飛んで、あるのは痛みと、熱さ。 「痛い。痛い。痛い…」
「医者を呼んでもいいが、聞く限りお前は随分と心が弱そうだ。お前の意見を聞こう」
やはり男は淡々と話す。時間の流れが違うようだ。俺の中では目まぐるしく人体が悲鳴を上げている。 「………」
俺は痛みが支配する頭をどうにか回転させる。そして、右手に持った銃を男に向ける。
バンッ。バンッ。
乾いた音が、男の隣を抜けて壁にぶつかる。だんだんと。心が和らいでいく。死神のような真っ黒いこの男が、久しく出会った人間に見えた。
「これは銃撃戦だった……仕方がないことだ。そうでしょう。」
「…そうだな。俺は同僚殺しと応戦して、肩を撃ったが抵抗に遭い、やむなく…」
バンッ。
血飛沫が床を染めた。男はもう話さなくなった。ブルーノは冷め切ったコーヒーを飲み干した。
「お前は仕事熱心な男だった。俺はお前が嫌いじゃない。早く仕事を終わらせるために、何をどうすればいいのか最後まで機転のきく奴だった。」
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クソな同僚を殺した警官を殺すおサツの話でした。
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