異星の民









鏡を見ると時々混乱することがある。これは一体誰の顔なのか?一つ一つの部品が分解されて、メインの回路とは別の次元にある引き出しの中から、記憶にある顔がパラパラと浮かびだし、あれに似ている、これに似ている、などと分類していく。しかし、結局合わさると誰にも似ていない。
そうしてハッと、ああ、俺の顔だ、と納得するのだった。
パッと、それは自分の顔であると理解できるし、顔を洗ったり、目薬をさしたり、顔と関わる動作に影響はない。他人の顔だってそうだ。瞬間的には正しく誰それの顔だ。
それが維持されないというだけで。
その時、俺は俺の外側に出たような気分になる。鏡の前に立ち、俺というひとつの人間の姿を眺めて、「へえ、これが人間か。」と、人間ではない他の生き物が思うような心地だ。地球外生命体でもいい。とにかく、俺は俺の身体から分離するのだ。そして、俺の身体というものが、ただの皮でしかないのだと思い知る。

「それにしたって、お前は髪をいじって、服を着替えたり、爪を整え、清潔にして、店にこの店の店主として立っているじゃないか。
そこに鏡さえなければ疑問に思うことも、皮から引き剥がされることもない。」

「ではお前も試してみるといい。鏡の前に立って、『お前は誰だ』と言い続けてみろ。おそらく一番手っ取り早い混乱を得られる。」

「俺はお前のような感覚は分からないし、わかる暇も、解りたい気もない。どんなによくよく自分の面を眺めたって、俺にはただ俺の面が拡大されて映るってだけだ。お前の話をたのしく拝聴するだけで十分さ。」

「俺は別に俺がおかしい奴だと公言したいわけじゃない。そんな感覚は誰にでもあるだろうと言いたいだけさ。そして、それならば人間であれば誰にだってなれる。どうせ、これは皮でしかない。誰もそうしないだけで。俺はそれをたのしんでいる。誰の顔も、少し似ていて、少しずつ似ていない。それだけで、俺は『ああ人間なのだ』と納得する。俺にとっての趣味であり、確認の手段だ。」

「お前は人間だろう」

「そうさ。そう在りたい。」

「はあ。そんなに心配しなくても。俺からすれば中身を開けばそれこそ皆おんなじさ。状態の良し悪しを除けば面よりよく似ている。」

「心配か…」

俺は何が不安だというのか。言われてみればそこには仄暗い何かが潜んでいる。たのしさの裏には、何があるというのか。
深呼吸してみる。もう少し、考えるための酸素が脳に必要だと思う。けれど、もやもやとした塊は空気とともにどこかに抜けてしまった。近づきかけた不安も、最初から何もなかったかのように姿を消してしまった。

「別に理由はない。ただ、たのしさを越えて、どこか生きている喜びのようなものがそこにあるんだ。お前には伝わらないかもしれないが、確かにそこには…」

「ああ、その部分だけは、行為に対する根拠として納得できる。何せ俺も同じようなものだからな。俺は誰にも理解されないが、自分の体を少しずつ毒に慣らすのがたのしい。一回死にかけた時は、『はあ、生きてる!』って感じたもんだ。」

「悪いけど、そこに共感はできないな。お前はただのバカだ。」

「辛辣」

ギイ。聞きなれた、店の扉が開く音だ。
記憶のどこかで誰かを真似て、いつもの店主になり替わる。
笑顔で挨拶。

「いらっしゃいませ。おすきな席へ…」

俺は一体誰なのだろう。



20210626
珈琲屋と麻酔の会話。