感動のハッピーエンド()









その日、担当していた患者が息を引き取った。俺は何もしていない。ただ、不治の病によって、正しくその命を終えたのだった。
患者は患者の家族によって看取られた。俺はそれを、まるで映画のスクリーン越しで見ているかのような気分で見守っていた。お話のような現実も存在するのかと、悲しみでいっぱいの部屋の中で一人感心していた。ありきたりの筋をなぞるだけの、たった一度の現実は、しばらくの間俺の中で関心ごととなった。

「俺はいつか、誰に囲まれることもなく一人で死ぬとは思っている。ああ、もしかしたら今までのツケを払わされる形で死ぬかも。それくらいの想像はつく。だけど、少しだけ、その映画のようなエンディングに憧れる気持ちもあるんだ。」

俺は目の前の男にブスリと針を刺す。

「それは、俺が単純に、そんな王道映画の展開を快く思っているからなのか、本当に、そんな人生を歩んで、そんな人たちに囲まれたいと思っているからなのか。」

俺は力の抜けた男の体を地面に横たえる。

「残念ながらそれは前者だった。」

結局俺には、先日この世を去った患者のようになりたいわけではないという結論が一番しっくりと来てしまった。輝いていたはずの終わりは、途端に画面越しで色を失う。

「アンタのようなあっけない不運な死も、あの患者の死も、同じだ。むしろその事実こそが、今俺の中で一番熱い展開ってやつだ。優劣なんかない、平等だ。ただ…やっぱり、俺たちは人間だからさ。こういう死に方をしたいだとか、こういう死に方がしあわせだ、だとか。そんな死に方は可哀想だ、だとか……あるんだよな、考えてしまうんだよな。」

俺は、凄惨な事件の報道を見て不快な気分になる。それは、事件の被害者への同情ではなくて、恐らく、数学の計算式が思ったような答えにならなかった時に感じるのと同じ感覚だ。苛立ちの矛先は理不尽に、間違った答えに向く。式そのものがおかしくなっていたのか、急におかしな答えが現れたのか。はたまた、俺自身の頭がぶっ壊れていたのか。なんでもいいが、計算のし直しがきかないというのはガッカリだ。

「俺は決して、アンタらに制裁を加えたいわけではないが」

転がった、何体かの死体を分解して、森に撒く。
今日が雨でよかった。割と強めの雨だ。明日にはお前たちのことは誰にも見えなくなり、かろうじて動物や虫に見つかるくらいだろう。

「答えを用意した奴には文句の一つでもつけたい気分になるってものさ。生憎ポップコーンを投げる習慣はないからな。」

でもだからって、エンディングを変えてくれだなんて言わない。もう取り返しがつかない。これは現実なんだから。それくらいの分別はある。

「これで、丁度いい塩梅だと思うぜ。すっきりした。お似合いだろ、凶悪殺人犯は"何者か"に逆に殺されて、誰に悲しまれるわけでもなく、山に捨てられて猪の餌。映画で言うところの勧善懲悪とまではいかないが、俺のこのみな展開だ。」

上機嫌で車に戻る。エンジンをかけると、備え付けのCDから気に入っている映画のサウンドトラックが流れる。この気分の積み重ねの末一人でポツンとくたばるんなら、悪くない。まさに俺にピッタリじゃないか。肝心なのは同列の結果よりも、個別の過程。うんうん、そうだ。ここまでを一つのお話にすれば、これは凄惨な最後を迎えたはずの彼または彼女にとって、ハッピーエンドだったと言えるはずだ。(被害者の性別までは覚えていないんだ。まあ、そこは重要じゃない。)
そこに誰かいるにしろ、いないにしろ。快い死の山の上で、それを抱えて死んでみたいものだ。









20210530
普段、現実の死に全く関心がなかったんだけど、ある時ふと劇的な感銘を受けて、それについて考える麻酔の話。
分かりづらかったらあれだけど、現実では見知らぬ彼または彼女が数人の殺人犯に凄惨に殺され、麻酔はその犯人たちを殺して山に捨てています。
書き足りない気もするけど、とりあえずここまで。