葉っぱを噛んで、ちょっとハイになっていた。なんでもできる気がして、思いついた全部がたのしいことのように思えた。白紙の紙束を見たときにひらめいたんだ。ばかなことを思いついたって、気づくのはいつもずっと後になってから。それすらもどうでもよく、何か新しいことをしてみたいと、俺の脳みそは笑いながら言った。

 

「日記を書いてみることにした。

退屈な日々にちょっとした面白みをつけたくてさ。」

 

「アーサーがやりたいなら、やってみたら。」

 

ピースはいつも通り、なんでも適当に俺を肯定する。俺はとにかく報告ができればよかったから、それでも構わなかった。皿やスプーンのぶつかる音だけが響く静かな夕食を済ませたあとは、部屋に戻ってもう一度葉っぱを噛んだ。そうして、もう寝ようかって時に、紙束が目に入った。そういえば書くんだった。言って満足して忘れかけていた。さて、今日は何を書こうかな。

 

『昨日薬を買いに行ったら、あんまりに高額な要求をされちゃったから、一発ぶち込んで全部貰った。そのときは結構切羽詰まってて、今となってはバカなことしちゃったなって思っている。せっかく見つけた売人なのに、もうそいつから買うことは出来ないんだ。あーもっと、次は、冷静にならなくちゃな。』

 

今日はこのくらいでいいだろう。あまり深く思い出すと、自分の小さな行動一つ一つが目についてうるさいから。

翌日目が覚めてキッチンに行くとピースがいた。もう食事は済ませていた。油の匂いがしたし、日はすっかり昇っていたからきっともう昼だ。今日は休日なんだろうか。カレンダーもよく見ていない。覚えていたらあとで確認しよう。シリアルを食べたくて冷蔵庫から牛乳を取りだしたところで、皿を洗い終わったピースがこっちを向いた。

 

「日記、どんな感じ?」

 

「まあ、まあ、あったことを書くだけさ。でもそのおかげで、次はもっと上手くやれそうだ。ハハ。」

 

「あっそー。よかったね。」

 

またもや、興味があるのかないのか、とりあえず聞いてみましたとでもいうような。そこから話を広げるつもりもないくせに。ピースは挨拶代わりの会話をした後、どこかへ出掛けていった。俺は遅い朝食を食べながら机の木目を眺めていた。見慣れた傷がついた使い古された机。静かだ。自分の咀嚼音と、家の外から時々聞こえる鳥の鳴き声に、遠くで木の葉の擦れる音が聞こえる。静かだ。今日も一日、部屋の中でゴロゴロと寝ては起きてを繰り返した。脳が腐っているような気がしたけれど、そうかといって別にもはや誰も困らないから、俺はその怠惰に身を任せる。喉の奥がからからと鳴って咳が出そうになった。少しムカつく感じがするのを空気を飲みこむみたいに抑え込む。

再び夜が訪れ、机の一番上に投げ出されている紙束を開いてみると、一昨日の出来事が書かれていた。

 

なんだっけこれ?

ああ、日記か。こんなこと書いたっけ、昨日。

バカなことしたなあ、ハイになってなんでも出来る気がしてたんだ。

 

それでもまだ、俺のやる気はか細く持続していた。

 

取り敢えず、暇だし、また何か書いておくか。

 

『今日は昼過ぎに起きた。窓から雲を眺めていた。自分が小さくなって潰れるような気がした。それにしても、日記を書き付けるだなんて面倒な習慣、なぜ始めようと思ったんだ?俺は。ハイになるのは気分だけで充分。やる気なんてもう必要ないんだから。俺はいつもそうやってくだらないことを試してみては、うまくいかないんだ。あーあ。』

 

……

 

そうだ、今日は葉っぱを噛むのを忘れていた。

 

俺は日記を閉じて、布団を被る。

何も考えないように。何も考えないように。

 

次の日、また日記を開いてみる。突然、鉛筆を真っ二つに折りたい衝動が湧き上がるが、一瞬でしぼんで消えた。少し息を吸って、深く吐き出した。頭から酸素がなくなって、しびれるような、ぼんやりするような瞬間がすきだ。開いたページには、昨日書いた文章が見えたが、視界をぼかして、その下に新しく文字を連ねる。

 

『今日は本当に何もしなかった。寝て目が覚めたら夜だった。ピースもいないし。

一人でジェンガやってみたけど、ピースが見たらきっと笑うだろうと思ってやめた。

本当に何もしなかった。』

 

………

 

何も しなかった

 

頭の中で、ブワッと何か、水の入った袋が割れたような気がした。

 

俺はそのすべてを言葉にできない。

 

数日後、ピースは俺の部屋に勝手に入ってきて、新しいものなんてないのに、動作と動作の間の隙間を埋めるように本棚を眺めていた。もしかしたら、興味が湧いてくるかもしれないと、ピースは言うけれど、今まで一度だって本を抜きだしたことなんてなかった。一種の癖なんじゃないかって、思う。ピースの視線は机の上の日記を見つけた。手に取って、表紙を少し眺めた。中身は見ずに再びそこへ落とす。ぱさりと音がして、傍にあったよくわからない紙切れが、一瞬舞い上がった。

 

「アーサー、日記はまだ書いてる?」

 

きっと、聞かれるんだろうなと、俺は他愛のない弟の行為からなんとなく察していた。俺は最後に書きつけた日記の文面を思い出そうとしたが、たった一つの言葉しか思い出せなかった。その言葉は、俺に全てを投げ出させるのに十分な威力を持っていた。ずっしりと、俺の頭の中に大岩が落ちるみたいに乗っかって、その振動と重みは俺の思考を麻痺させる。結論は一つ。

 

「やめたよ。

過去の自分に責められてるような気がして」

 

「やっぱりそんな面倒なことお前には向かないって

 

「まあ、それだけじゃないんだけど」

 

ピースは机に備え付けの椅子に腰かけた。こちらを向いて、俺の言葉の続きを待っている。その目は全く、俺の話に興味を持っているのかいないのかもわからない。俺にもそんな余裕があればよかったのに。

 

「なんかさ、

何もしないって、書いてみると

俺が求めていた何もしないとは違うような気がするんだ」

 

「へーえ。

それはアーサーの捉え方の問題じゃないの?」

 

「うん、まあ、そうかもしれないけど、何をしても、なんでもないことを書いてみても、そこには俺を殺すような文字しか表れないようで、もう嫌になった。俺の何もしないの中には色んなものが詰まっているのに、文字に書きつけた何もしないの中には本当に何も入っていない。

俺が夜中に目が覚めたことも、体が痛かったことも、髪の毛に寝癖がついていたことも、お前が買ってきた魚を焼いて食ったことも、葉っぱを噛んだことも、何一つ。

何もしていないと言いながら、こういうことはしたけどねって、一々補足をつけなきゃおれのいう何もしないに近づかないんだ。

そうすると、もう何も確かなことなんか書けないと思ってさ

考えるのが面倒になった。」

 

結局、めんどくさいってことだよね。」

 

「ほら、お前だって。

俺がたくさん考えて出しためんどくさいって結論を、最初からそうだったみたいに言うんだ。」

 

「だって僕はお前じゃないし。

僕はお前が今日一日事細かに何をしたかなんて興味ないから。日記はお前がお前のために書いたからそういう細かい部分を気にするのかもしれないけどね。僕の言うめんどくさいはお前の言った全部を引っくるめた結論として言っているんだよ。」

 

「やっぱり、お前は俺の話に興味なんてなかったんだな。お前もめんどくさいって思ってる。全部に全部ひっくるめてさ。」

 

「全部って言ったら全部なんだ、言葉って楽でいいね。」

 

「あーあ!

やっぱいいや。慣れないことすると、また気が滅入る。」

 

「今日の日記。今日もアーサーはよくわからないことを言って自分で落ち込んでいました。僕からすれば、アーサーは何も新しいことなんかしていないよ。安心して。」

 

「うるさい!」

 

 

 

 

 

2017/04/20