ヒンチクリフの中で









おわり
言葉は言葉自身を何とも思いはしないし、
身体も知ったこっちゃないけど
心は言葉にぐらぐら揺らされる。
またもや解釈漫画です。
それが実際とかけ離れた飛躍した想像でも、そうだったらと思うと面白くて不気味。
昔々にくたばりかけた時と、それに比べたらつい最近くたばるんじゃないかと思った時の違い。
死はもともと、人間の中にはなかったのではないのか。と、ふと思った。
実際の死とは違って、人間が認識する、対象としての死。
実際の死とは違って、恐怖の感情を含有するかのような、意味としての死。
俺たち人間が死ぬと言って恐れているのは、実際の死ではなくて、概念としての死でしかないのかもしれない。
自明のことではある。死とは言葉だ。でも、ただの言葉でしかない死をどうして恐れるのだろう。
言葉と感情、連想はどうやってくっついているのか。その境目は?
本能的な死というのも、言葉が作り出している。
意味が分からなくても、動物的に言葉が言いたいところのあの死を恐れている状態。
でもその言葉の言う死というのは本当の死ではないのだから、実際はわかってはいないのではないか?
昔に感じたのは痛みだけだった。何も考えられない状態。ただ痛い。
放っておけば死んだだろうけど、その時は自分が死ぬなんて思いもよらなかった。ガキだったので。
だからただ痛くて、意味が分からなくて、とにかくこいつを止めてほしいとばかり思っていた。
それが今では、死という概念が俺の中に構築されてしまったもので、
ちょっとしたことで、苦しみに加えて、手に入れてきたすべての意味が失われることを恐れている。
昔から、少しずつ動物から人間になっていった俺だけど、やっぱりだからって、
あっと思うことしかできないこの世界の亀裂のような一瞬が何のことなのか、いまだにわかることができない。
光景が怖いのか、想像した可能性が怖いのか、言葉の意味するところの可能性が怖いのか。
それでもやっぱり、それらは存在しない。
理解は、それが言葉になっているってことで、言葉がなくちゃできないから、
本当に怖いものが何なのか、目をつぶってなかったことにしてしまいたいはずのそれが何なのか、
どうやったってわかることができないのではないのか。
言葉の中で、追いかけてみても、余計に訳が分からなくなるのに、
その瞬間言葉を抜きにして何かが頭の中を駆け回っている。
それって何なんだろうなって、結局また言葉で考える。