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極彩色の夢 俺は暗い部屋にいる。周りには何もない、ただ俺だけがいる。俺はこの部屋の広さを知らない。来たときから真っ暗だったからだ。俺はこの部屋の、おそらく最も清潔と思われるところに座っている。なぜ、おそらくなのか。それは、この部屋の全体が俺には見えないし、俺が今、普段不潔なものに触れたときに感じるはずの、体中の違和感を、まるで感じていないからだ。俺が座っているこの暗い部屋の床は心地よい。冷たくないし、熱くもない。温度といった概念をしらないみたいだ。俺のいる暗い部屋は、本当に暗くて何も見えない。俺自身の身体さえ見えない。俺の眼前にはただ黒だけが広がる。俺はこの暗い部屋がすきだ。ホッと一息ついて、安心できるくらいに。でもおかしな話、俺は自分の呼吸する音を聞くのがすきではない。折角の無と静寂の世界が、それによって汚されてしまうかのようだ。俺はだから、もう随分以前から呼吸なんてしていないような気がする。 昔、俺は白い部屋にいたことがある。そこは本当に白くて、眩しいほどに明るかった。その部屋には俺の目が捉える限り何もなかったが、仮にその部屋に存在するものがあれば、それらは全て白に照らされ、そのひとつひとつが己を主張したはずだ。そして俺は、今いる暗い部屋と同じように、一番清潔と思われる場所に座っていた。床に触れていた肌は、ひんやりとした床に熱を奪われる。この時は、そうだ、なにもかもが白くて、汚れは何一つ見当たらなかった。俺は安心してため息をついた。その後すぐに訪れる奇妙な不快感には気づかない振りをして。だがひとつだけ暗い部屋と違っていたのは、そこでは俺自身が見えたということだ。俺には座っている俺の手が見える。俺の足が見える。俺の体が見える。そのとき俺は気づいた。この真っ白な世界の中で、自分だけが不純で、不潔だということに気づいた。単純に対する、複雑という不純だ。俺は内側から溢れ出るような嫌悪感が自分を襲うのを感じた。それが内臓を揺さ振るのを感じた。なにもかもが不潔だ。気持ちが悪い。吐き気がする! 長い時間、正体のわからない焦りと興奮に苛まれたあとで、俺は視界に映る自分の体を切除することにした。俺の視界に白以外の何ものも映りさえしなければ、俺は俺自身を誤魔化すことができる。俺の前にはきれいなものしかないんだって。一刻も早く、と叫ぶ俺の精神は、鋸を右足に当て、肉を裂き、骨を砕くことを躊躇しなかった。ぐちゃぐちゃ、ばきばき、と響く音は、まるで俺の不純を殺す音のようで、心地よかった。俺は掃除をしている、俺はきれいな世界をつくっている。俺はそう思うことで少しだけ平静さを取り戻した。そして同時に、右足の消滅によって、その足に触れるはずだった全ての外的なものから解放されたという事実に喜びを感じた。続いてもう片方の足も切り取ってから、今度は左腕を切り落とした。視界が大分すっきりしたので、俺はいよいよ気分が高揚してきて笑いを堪えられなくなった。 「わはは!」 そうして俺は、頭と胴体と右腕だけになった。しかし、さて、どうしたものか。腕はあと一本しかないから、腕を切ってしまったら胴体が切れなくなるし、胴体を切ったにしても、残った腕はどうすればよいのだろう。試しに食べてみようか?いいや、答えは単純明快なのだ。頭から下を一度に切断すれば、腕も胴体も見えなくなる。俺の目玉は幸い、頭部を見るには視界が狭い。俺はまず、視界に入っていた髪の毛をねこそぎ引き抜いてから、残った右手で自分の首を切断した。そして、なんとも美しい白色の世界を、俺は眺めた。後ろに転がっている元俺の体は見ないふりをする。一面が清潔感に溢れていた。気味が悪いほどの純白を見た。美しい、美しい。俺は幸せだった。しかし、それは束の間の幸福感に過ぎず、俺は己の額からじわじわと冷や汗が流れてくるのを感じた。俺は気づいた。一番気づきたくなかったことに気がついた。 「ギャア!」 ああ、なんてことだ、この部屋には何もない。いわば無の世界。それなのに俺が、俺だけが、存在しているではないか!無駄、無駄、無駄なんだ。なにをやっても。どんなに俺から見た世界が美しくても、世界そのものが汚れている。無を汚す存在としての俺によって。俺は俺の不純を取り除く手段をもうなにも持っていないことに混乱した。どうしたらいい、どうしたらいい、どうしたら…。そのあとすぐに、俺は急に眠くなって目を閉じた。エレベーターで地下へ降りるみたいに意識が深い暗闇に落ちていくような錯覚のあとで、身体がフワッと軽くなった感じがして、すごく快かった。きれいとか、きたないとか、なにもかもがどうでもいいくらいに。こんな安堵、いつぶりだろうか。 今はもう吐き気もしない。素晴らしい。目が覚めたときにはこの暗い部屋にいた。一体どうやってここに来たのかまるで覚えていないが、俺は白い部屋よりもずっと、ここを気に入っている。俺には恐れるものがなくなった。この部屋は暗くてなにも見えない。俺自身が見えないだけでなく、上下に右左、それから、時間や空間さえも見えない。俺は座っているが、俺が座っている感覚なんてものは存在しない。こんなに素晴らしいことはない。俺は接触からも解放された。俺は知っている、俺がもう身体を持っていないということを。しかし、俺の幸福は未だ完成されていない。それでも今俺が安心しているのは、それがもうすぐにやって来るということがわかっているからだ。 ああ、もしも神とやらが存在するならば、目一杯感謝したいところだね!俺は心の中でそう叫ぶ。俺は瞼を閉じた。眼球が瞼に覆われる感覚はなかったが、俺はそれ以降一度も目覚めていない。
------ 最初はただの潔癖症の男の話にするつもりだったけど、 単色に憧れる色でもありかと思った。 一個前の話に比べたら中身はない。
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