Gペンとインクの練習で書いた落書きすぎる落書き漫画

 

 

 

 

 

 

 

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こいつらが珈琲屋でただ話だけで終わることができるのは

お互いが対等だからです

という話です

 

たとえば兄貴は弟に殺されても別にいいし(「良い」って事はないけど…)

弟も兄貴に殺されても別にいいけど、

やすやす殺される気はさらさらない

生への執着は別になくて、いつ死んだってそれはそれだけど、

殺される対象になるつもりはなくて、

殺すつもりなら逆に殺し返す勢いで臨みますよ

という対等

 

変に仲間意識があるとかそういうのでは全くない

 

なんというか、我が家の人々が同じ場にいるときもそうですが、

そういうときだけでなく、漫画の中で召される人に対しても、

威嚇というものをさせないようにしています。

ほら、例えば「殺すぞー」みたいな…

自分の力を誇示させたくないのです。

別にそれが誇らしいことと彼らが思っているわけでもないので。

(だからといって蔑むべきこと愚かなことと思っているわけでもありません)

殺すという言葉を盾に使って欲しくないんです。

愛しているという言葉と同じくらいに無意味だと思うんです。

もちろん言葉がないときにでも同じです。

目や態度で、君の出方次第では殺す、みたいな、そういう風にはしたくないと思っています。

そんな風に、召される側・殺人鬼側、殺人鬼同士にまるで上下の関係ができることが

私には抵抗のあることです。

殺すぞっていう方は、上から目線でものを言っていて、

まるで自分が相手より強いという風な思考さえ伺えます。

そういう考え方を私は我が家のキャラクターにはして欲しくないと思っています。

そしてそれは逆も同じです。

自分を相手より下に置くこともしてほしくはありません。

恐れることというのは少なからずこの上下関係が構築されることと同じに思います。

 

平和は珈琲屋に対等を求めました。

今書いたみたいな上下の関係を思考に生み出して欲しくなかったのです。

 

ちなみに兄貴を書いたことで説明したつもりなのですが、

兄貴はいつもビクビクしていて

俺はダメだとかブツブツ言って、劣等感とかコンプレックスとか

そういったネガティブなものの塊みたいなものになっていますが、

殺人鬼もののキャラクターとして彼も勿論対等な存在です。

 

それに、かれらは殺すという行為を自分の力の見せしめにやっているわけでもありません。

なので、単に人間を力で押さえつけるための行為ではありません。

彼らがもし誰かを殺そうと思ったとき、

そこにあるのは自分より弱い存在を殺して楽しむというようなものではなく、

ただ意思があるだけです。

いつだって自分も返り討ちに殺されるかもしれないっていうことをわかって行動しています。

殺されやしない、大丈夫と思えるくらいの自信が全くないとも言いませんが、

彼らは超人ではなくて普通の人間です。

漫画のヒーローみたいに絶対死なないなんて保障はない世界の人間です。

 

それだからというわけでもありませんが

彼らは対等を重視します。

 

 

 

 

 

 

我が家の創作で対等っていうのはとても大事な言葉です