こびりついてとれない
おわり
ひと月ほど前の、自分の状態でした。
生きることに意味が見いだせなくなった
言葉自体はどこにでも溢れているけれど、まさにその真ん中に自分が立ったとき
そこには憂鬱すら存在しない。
ただ、ハッという一瞬の気づきと、飽和としての放心だけがある。
自分はそこから何とか這い出そうとした。でも、うまくいかない。
どんな外的な影響も素通りしてしまった。
そんな感じで、ひと月くらい、何に対してもやる気が出ないまま過ごし、色々なことを無理やりこなして疲れていた。
そこから抜け出し、結局普段の状態付近まで連れ戻したのは、本だった。
大量の文字を頭に流し込み、「理解する」ことを繰り返すことで、「その状態」への意識を逸らすことに成功した。
そして、今の状態にある。
言葉の力は強大だと思った。でも、そのせいでまた、無意味の中に落ち込んだ。
それは記憶し続けていたことのせいだ。
その無意味さは、恐ろしさではない。逃げる必要のあるものでもない。
自分を逃げさせるのは単純に自分が生活しなければならないから。
生活に縛られているから。
きっとその無為の中に落ち込み続ける自由さえ自分が気づき、何らかの形で手に入れることができるのであれば、
自分はその落ち込みの中に落ちていっても構わない。でも難しいだろうなあ。
そして、もう一つ、強制的に元の場所に引き戻したのは、適度な酒だった。
程よくくらつき、睡眠を誘う。
何も考えることなく、「その言葉」を思い出すこともなく、布団に入ることができる。
今となっては、その状態への道は再び閉ざされてしまった。
もう一度戻りたくても、また何かしらのきっかけがなければたどり着けないだろうと思う。
存在自体へ近づきたいと思いつつも、人間としては戻るしかないというのが残念でならない。