21:55












 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 









終わり



不安の話はこれで終わりです。

ある日、21:55に、俺の部屋に二つあるうちの、一つの時計が止まりました。

数日後、もう一つの時計も、21:55で止まりました。

なので、やっと最後の不安の話を描くことにしました。そこに、この話の答えがある気がしたので。


「あいつ」の正体は、人も、物も、現在も、過去も、何もかもを含んだ、全体意志のようなものだったんじゃないかと思います。

確かに存在しているけれど、それは、今にあって、ここにあっては決して捉えることはできない。

ただ、その片鱗にふとした瞬間に掠めるだけ。

ニコルっていったい何者だったのか。俺自身、不安であるミゲルの外側にいて、翻弄するこいつは一体何なんだと、思っていました。

きっと、ニコルは空間的不安で、ミゲルが時間的不安だったんだと、これまたある日、俺の中で納得されました。

時間は空間によって固定化され、人間にも「見る」ことができるようになる。

時計が止まった時、その「見える」意味が崩壊して、時間は空間の外へ流れ出した。

ミゲルは、電話と壁とを同時に感覚することで、今ここ的な「あいつ」ではなく、全体的な「あいつ」を感覚した。

「あいつ」こそは、ミゲルをもニコルをも含んだ、「全であり、無である存在」なんじゃないかと。

不安は、存在による止めどなさに、もう形を保てない。空間は飽和し、時間も溶けていく。

靄はすべてを包み込んで、もう何も見えない。


空間と時間については、脳と心の一家の話を描くときに再び出てくると思います。


ミゲルの中で、黒い服の男はペラペラと喋る舌を抜かれました。

風船ガムの男も、もうなにも話しません。

ミゲルの中に、もう言葉は介入できなくなったので。





思いつき、思い出したら追記します。